日本語と英語の文化の違い 「行間を読む」日本語と「言葉にすることが大切」な英語
例えば、映画の字幕を見ても、「全然違う!」と感じたことはないでしょうか?
ハリーポッターの字幕で、ハーマイオニー(女の子)のセリフを例に、
”Do you honestly expect you can walk up and ask him to reveal his deepest, darkest secret?”直訳は「あなたは彼に近づいて、彼の深く、真っ暗な秘密を明かしてと頼めるとあなたは本当に思っているの?」ですが、字幕は「直接 聞けば 秘密を明かすと思った?」です。
このように日本語では誰が、誰になど分かっていることは言わなくても相手が読み取ってくれますよね。二人で何かについて会話をしていて分からない時に「聞いてみたら?」と言えば、誰が誰に何を聞くのか話の筋で分かりますが、英語なら誰が誰にと伝えます。遅刻している友達の話で「バスが遅れているって言ってたけど、そろそろ着くよね。」と話せば、日本語が堪能な外国人でも「着くのはバス?」と悩むところらしいです。また、「どうも」の英語って何でしょうか?その状況により「どうもありがとう。」なのか、「どうもこんにちは」と挨拶を意味するのか、「どうも申し訳ない」の「どうも」なのか、説明しなくてもその空気を読むのが得意な日本人なら言わなくて良いですね。
日本語のように暗黙の了解で言葉を省略することが多いことを高文脈(high context)と言い、それに対し、一般的に英語は低文脈(low context)といわれます。(人類学者Edward T. Hallの著書”Beyond Culture”)
会話の情報がお互いの共通の経験や背景を基礎にできていて、すべてを言葉にしなくても通じる高文脈文化では特に集団主義や協調が重んじられる日本社会に見られます。逆に低文脈文化では、個人主義 が重んじられ、「皆と同じ」が求められる日本社会とは違います。ですので、このような文化では、「言葉にする」ことが大切になり、きちんと言いたいことを最大限伝える努力をしなくてはなりません。空気、雰囲気を読んでほしい、という願いは相手に届かないことがあります。
私も伝えたいメッセージがうまく伝わらないことがあります。英語が伝わらない時「英語力の問題」だけでなく「こう言えばこういう意味って受け取るでしょう?」という自分の文化と相手の文化の違いの問題なのか、改めて認識して英語を話すことが大切だと実感しています。孔子先生の「辞は達するのみ」(言葉というものは相手に伝わらなくては意味がない)という言葉はトイレに貼り、日々反省しています。J